理学療法士の学校に入るまでの話
今回は私、まるが理学療法士になるまでのお話です。
理学療法士を志すことになった理由、受験、
理学療法士の学校に入学するまでについてお話します。
フリーター役者生活の終わり
学生時代から演劇が好きで、高校卒業後は
ジャグリング(ボールに乗って転がしたり
サーカスみたいなこと)やダンスを習って、
劇団に入りました。
公演ごとのチケットノルマがあり、フリーター
をしながら、経済的に厳しい日々でしたが、
とても刺激的で楽しい日々でした。
劇団とは別に芸能事務所に入り、ドラマや
映画に出ることもありましたが、事務所から
のギャラ(給料)が止まってしまったり、
役者の仕事が続かなかったりして、うまく
いかなくなっていきました。
そんな25歳のある日、アルバイトでぎっくり
腰になり、休まざるをえなくなってしまいまし
た。お金もなくなるし、借金もあるし、劇団の
ノルマを払う必要もあり、いつまでこんな事を
しているのだろう。と、不安になっていました。
役者は一度置いといて、役者のスキルが活か
せる仕事で30歳になるころにはしっかりと食べ
て(生活して)いけるようになろう。と考えるよ
うになりました。
長い間お世話になった劇団には25歳
の時の公演でしばらくお休みさせてください。
と言いました。(役者やめます!と言わなかっ
た)まだ、どこかで逃げ道を作っておきたかった
のかもしれません。劇団のみんなは「いつで
も戻っておいで。」と心よく送り出してくれ
ました。(言われたい言葉を言ってくれたので
逆に頑張れたのかもしれません。)
そうだ。理学療法士になろう
もともと、舞台役者だったこともあり、身体の
動きや筋肉のことについて考えるのは好きでし
た。初めてのぎっくり腰で接骨院に通った
こともあり、始めは柔道整復師も考えました
が、色々と調べて理学療法士という仕事を知り
ました。
患者さんの障害前の人柄、行動、生活などを
想像するのは役者の役作りの作業に似ている
と感じました。
パッチアダムスの映画が好きだったのもあり、
元役者が医療従事者になるのは、良いんじゃ
ないかな。なんてことを考えてました。
今まで勉強らしい勉強をしたことがないのに、
とてつもなく、ポジティブに考えたもんです。
実はここまでは、どうやったら理学療法士に
なれるか、あまりわかっていませんでした。
勉強は小学生レベル
高校時代から勉強が嫌いで成績は良い方
ではありませんでした。
理学療法士の専門学校受験を決めますが
受験できるほどの武器が何もありません
でした。英語のレベルで言えば、AppIe
やMilkのスペルがわからなかったです。
数学も壊滅的でした。
劇団の時の知り合いで、家庭教師を
している人が居て、この人にまずは相談
することにしました。
私の頭のレベルをみて、まずは脳を鍛えよう!
と、小学生の算数ドリルをプレゼント
してくれました。とにかく、単純な足し算を
行いました。週に1回ファレスに来てもらい、
勉強をみてくれました。
小学校から開始し、中1、2と数学と英語の
勉強を復習?(感覚としては初めて)
しました。
この知り合いの勉強メソッドは独創的で
ノートに大きく文字や数字を書いて見開いて
すぐに理解できるようにする。図に書くなど。
ついつい字が小さくなり、1ページに色々と
情報を詰め込みたくなるのですが、
修正テープで、ビャーっと消され、
「はい。やり直し。」と。
このやり方は
その後の勉強でも役に立ちました。
一生懸命付き合ってくれて
教えてくれた知り合いに本当に感謝です。
看護医療系学校受験の予備校へ
やがて、医療系専門学校受験の予備校に通い始
めました。そこで看護学校受験する人や理学、
作業療法士校の受験を考えている人色々な
仲間と知り合いました。
昼はアルバイト夜は予備校の生活が始まり
ました。
みんな一度社会人を経験して、再び勉強を
再開している人ばかりで、お互いを励まし
合いながら勉強できました。
勉強していると孤独を感じることがあります。
仲間が居てなんとか乗り切ったと思います。
ちなみに予備校の先生の話し方のリズムや
癖がすごくて、強烈に頭に入ってくること
がありました。プロってすごいなー。
と感じました。林先生の「いまでしょ」
みたいに決めセリフがある先生が居たり、
王子様みたいな不思議なフリルがついた服
を着て授業をする先生が居たりしました。
この王子様先生にはファン?弟子?
取り巻き?が居て、予備校の生徒だと思う
んですけど、先生の荷物を用意したり配布
プリントの挿絵を担当していました。独特な
世界ですよね。
ついに専門学校受験へ
学校見学はたくさん行きました。
受かりそうもない学校にも行きました。
ここでようやく、親に
受かったらお金を貸してください。とお願い
しました。(だめだ!と言われてたらどう
なってたろう?)なんとかOKをもらい安心
できたら勉強のラストスパートです。
国語と生物の成績が安定していたので、
結局受験はこの2つの武器で行くことに
しました。
社会人入試1校(東京昼間部3年)、
普通入試1校(千葉昼間部3年)
の2校受験しました。
千葉の学校は遠いので、ホテルをとって
前乗りしました。
ホテルの手違いで、シングルではなく
最上階のダブルの部屋。
小さなウエルカムフルーツがついて、
オーシャンビューでした。
バナナをもぐもぐしつつ、のんびり海を
眺めたのを覚えています。
これは何かの吉兆だったのか、
千葉県の学校から合格を貰いました。
4月から晴れて千葉県の学校に通う
ことになりました。
ようやく理学療法士への道の
スタートラインに立てることになります。
続きは理学療法士になるまでの話(学校生活編)で
学生時代の話を書きます。
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