理学療法士になるまでの話(学校生活編)

理学療法士になるまでの話(学校生活編)

今回は理学療法士の専門学校のときの話をしたいと
思います。今から約15年前のできごとなので、
今とは多少違うかもしれませんが、へー。という
感じで、何かの参考になればうれしいです。

入学式、初登校

学校のグループが巨大な組織なので、武道館で
全グループの入学式を一斉にやる感じでした。

午前中が専門学校グループ午後に大学グループがやる
ことになっていて、九段下の駅からものすごく込み合
っていて、警備員の方が誘導していました。

先生の演説があったり、チアリーディングみたいのが
出てきて、何かやっていたような気がします。

専門学校は次の日?から開始で、学校の説明クラス
分け、教科書の配布などがありました。1年から3年
生までが1グループになり、学校の中を紹介してもら
いながら、その日を過ごします。ケーシーの採寸
この日にやりました。

ちなみにケーシーは白衣のことです。半袖の詰襟
みたいな白衣で、肩にボタンがついています。
胸に学校名と名前をいれてもらいます。
これを着ると、なんだかビシッとした気分になります。
初めてのランドセル?みたいな?

段ボール一杯の教科書を買います。
(学費とは別料金で約10万円しました。)
学校のグループの関係で有名な教授が執筆した
ものとか、学校の関係で買わされるのもあった
り、なかったり。

何冊あったか忘れてしまいましたが、
え?こんなに勉強するの?
と、驚いたのを覚えています。

学校生活スタート

学校は千葉県の海の近くにあります。
家は東京だったので、学校までは片道約2時間
でした。同級生達は千葉の地元の子や地方出身
の子が居て、年は9歳下(現役)の人ばかりでした。
全体の1割+α程度、社会人経験のある年の近い人も
いました。

始めはそんな年下の子らと上手くやっていけるのか
正直、不安でした。


学校後みんなでご飯を食べに行ったり、社会人経験
のある年上グループで飲みに行ったりしてるうちに
すぐに打ち解けました。
自分自身、飲み会が大好きなので、飲み会は積極的
に参加して、へべれけ2日酔いで次の日の授業が
きつかった事がよくありました。

また、グループで乗り切るレポートの作成などが多く
誰かのミスで提出が遅れたりするとグループ全体の
成績に響くことがあります。

喧嘩したり泣いたり笑ったりして、みんなで学校生活
を乗り切ることになります。

私は自宅が遠かったので、通学に往復4時間弱ほどの
電車生活でした。この時間をなんとか、やり繰り
しようと思い、電車の中でもパソコンでレポートを
作ったり、勉強したり、睡眠をとったりしていま
した。(動く自分の家状態)

土日は学校が休みでしたが、アルバイトもしていまし
た。週3回くらい働いたかな?
アルバイトは理学療法のこと以外のことが考えられる
し、また違ったコミュニティーが出来るので、それは
それで楽しかったです。

ヘロヘロになりつつも、夢中で毎日を過ごしてい
ました。

外部講師の先生の授業

学校の勉強は解剖学、生理学など一部の授業は大学
から講師や教授が来て、大きな講堂で授業がありま
した。精神医学や心理学の先生はテレビにも出る
(笑っていいともに出演)面白い先生でした。

中にはお年を召した名誉教授?も、いらして(学校の
関係でその先生を呼ばなくてはいけない。とか?)
黒板の字も声も小さいし、授業の途中でウトウト先生
自ら眠ってしまうなんてこともありました。

立派な功績を残された有名な先生だとは思うのですが、
先生が眠ってしまうとついつい、私たちも眠くなり、
こちら側も眠ってしまう・・・。

眠っている生徒が多すぎる!と外部講師から学校に
クレーム?が入り、学校の先生が監視に入るという
のが始まりました。眠っていると、声をかけられて
退席させられ、欠席扱いになるといった恐ろしい
ものでした。

いかに目を覚ますか、いかに眠っていない
ように見せて眠るか、を考えたりしていました。
靴と靴下を脱いで足を冷たくする。
額に指先を置いて考えている風に見せつつ目を
閉じているのを隠す。

などなど。

先生が恐い。理学療法士は体育会系?

理学療法評価学などは学校の先生(現役のPTやOT
をされている先生)が授業を担当します。これが
かなり厳しい!

個人レポート、グループレポート、毎回のミニテスト
など、宿題や課題がとにかく多い!いつでも締め切り
に追わている感じでした。

授業が終わっても勉強やグループ課題でみんなで学校
に残ることがほとんどでした。

例えば関節可動域の実技グループレポートでは、
みんなで関節を測って、5°以上の相違があれば
やり直します。

みんなまだ理学療法士の卵なので、へたくそです。
みんなでピタリと合うには相当何回もやり直しが
必要です。

ようやくみんなの数字があったら、
レポートの中身についてみんなで話し合います。
大体の流れが決まったら、担当する箇所を
それぞれ持ち帰って作成し、完成物を持ち寄ります。

誰かのミスでデータが消えたり、プリントアウト
できない。(紙ベースで提出)などで提出が遅れる
と、連帯責任となります。
え?ほんと?昭和?と思いました。)

とにかく、最後まであきらめないで、粘って勉強する
粘ってレポートを作ることを学びました。


未提出で全員の成績を下げる権限を先生は持っていま
す。成績が下がるだけでなく、先生の印象によって、
実習先が変わったり、留年するのではないか?と
みんなで恐れていました。

レポートの遅れなどがあれば休み時間などに全員で
職員室の先生に報告(謝罪?)に行きます。

謝罪待ちが廊下で沢山並んでいて、前の人が激しく
叱責されているのが聞こえてくると、みんなで閉口
していました。

ついに自分達の番。
入口で大きな声で叫ぶルール
「〇年、名前、○○先生に○○の件で参りました!」
「はい。入りなさい」
「失礼します!」
案の定、ものすごく怒られて、「はあ。」
と帰っていきます。

レポート遅れはとても大変なので、よくみんなで
喧嘩したり泣いたり、気が病んで学校に来なく
なっちゃった人の家にみんなで押しかけて
行ったり、なかなかの青春時代を過ごしました。

ヒートアップし過ぎた先生の手が出たことも
ありました。今で考えると完全なコンプラ違反
です。きっと今はそんなことないと思います。

先生がよく言うのは、こんな事じゃ実習では通用
しないよ!実習、実習、実習・・・。
実習ってなんだ。
そんなにやばいものなのか?
次回は実習や国試について特に詳しく書きます。